序論:隠れた11%の税金 – なぜ流動性の理解が必須なのか
現代の投資は、目に見えない「税金」との戦いです。
マクロ投資家ラウル・パル氏は、この課題の解決策として「エブリシング・コード」と流動性サイクル論を提唱します 。
この理論の根底には、投資家が直面する厳しい現実があります。
それは、年率11%という驚異的なハードルです。 これは通貨価値の希釈(約8%)とインフレ(約3%)を合わせた数値です 。
このハードルを下回るリターンは、実質的な資産の目減りを意味します。
この現象は2008年の金融危機以降、構造的なものとなりました 。
政府と中央銀行は、システム崩壊を避けるため流動性を供給し続けるしかありません。
結果として、貯蓄や低利回り債券は有効な資産保全手段ではなくなりました。
パル氏の理論は、現代の投資目的を再定義します。 それは「通貨価値の希釈から資産を守り、それを上回るリターンを追求すること」です。
これにより、投資家はテクノロジー株や暗号資産といった高リスク資産へ向かわざるを得ません。 これは貪欲さからではなく、資産を守るという必要性に迫られての行動なのです。
本稿では、「エブリシング・コード」を解き明かします。 流動性サイクルが市場をどう動かすのか、海外情報を基に徹底分析します。
そして、金融中級者がこの知識を具体的な投資戦略に落とし込み、次なる強気相場を乗りこなすための実践的な計画を提示します。
第1部 グローバル流動性エンジンの解体:サイクルの「なぜ」
流動性サイクルがなぜ必然的に発生するのか。 その根底にある構造的要因を解き明かします。

1.1 真の駆動力:債務借り換えサイクル
暗号資産市場では、ビットコインの半減期が強気相場の原動力と信じられています。 しかし、パル氏はより強力なマクロ経済要因を指摘します 。
「これは債務の借り換えサイクルに関するものだ」と彼は断言します。
世界の公的・民間債務の平均満期は約4年です 。
これにより、約4年ごとに大規模な借り換え需要が周期的に発生します。
この時期、中央銀行はデフォルトの連鎖を防ぐため、市場に大量の流動性を供給せざるを得ません。 この流動性注入が、リスク資産市場への強力な追い風となるのです。
特に、コロナ禍のゼロ金利政策時に発行された大量の債務が、2025年後半から2027年にかけて満期を迎えます 。
これが次の流動性拡大への期待を高めています。
この視点では、ビットコイン半減期は強気相場の「原因」ではなく、サイクルを増幅させる「偶然の触媒」です。
1.2 止められない力:人口動態と債務の罠
流動性注入の必要性がなぜ増大し続けるのか。 その答えは人口動態にあります。
パル氏はGDP成長率を分解する「魔法の公式」を提示します 。
GDP成長率=人口成長率+生産性成長率+債務成長率
先進国では、労働人口の減少と生産性の伸び悩みが続いています 。
名目GDP成長を維持する唯一の手段が「債務の増加」なのです。
「人口動態は運命だ」とパル氏が述べるように、この構造が継続的な流動性供給を不可欠にしています 。
金利が経済成長率を上回る局面では、政府は通貨を希釈するしか選択肢がありません 。
これは中央銀行が「構造的な罠」にはまっていることを示唆します。
彼らは間違いを犯しているのではなく、通貨を発行する以外に解決策がないシステムの中で、強制された行動を取っているのです 。
1.3 「印刷」のメカニズム:現代の流動性ツール
具体的にどのように流動性が供給されるのか。 パル氏が指摘する現代の「流動性ツールキット」は以下の通りです 。
- 中央銀行のバランスシート(QE/QT)
- 財務省一般勘定(TGA)
- リバースレポ(RRP)
- 銀行システムのチャネル
コロナ危機以降、経済はこれらのツールで管理される「流動性サイクル」に従うようになりました 。
金融市場は実体経済ではなく、流動性の流れに直接反応します。
これは投資家にとって、根本的なパラダイムシフトを意味します。
第2部 投資家のダッシュボード:サイクルの追跡
理論を理解した上で、次に「今、サイクルのどこにいるのか」を判断するための具体的な指標を紹介します。
2.1 ドミノ効果:先行指標の連鎖
パル氏のフレームワークは、経済指標が連鎖的に反応する「ドミノ効果」に基づいています。 この因果関係を理解すれば、市場を先回りできます 。
連鎖は以下の通りです。
- GMI金融環境指数が最初のドミノ。
- 総流動性は、GMI指数に約3ヶ月遅行。
- ISM製造業景況指数は、総流動性に約6ヶ月遅行。
- 企業収益とリスク資産は、ISM指数に追随。
特に、グローバル流動性とリスク資産価格の相関は非常に強いです。 ビットコインとの相関は90%、ナスダックとは95%に達します 。
このドミノ効果を理解すれば、市場の「物語」に惑わされません。 パル氏は「人々は3ヶ月前の流動性状況を説明するために、今日の物語を作り出す」と述べます 。
先行指標を追う投資家は、日々のニュースを無視し、次の市場の動きに備えることができます。
2.2 ISM指数:経済の「季節」を測る最重要ゲージ
パル氏が最も重視するのがISM製造業景況指数です 。
この指数は、6ヶ月から18ヶ月先の経済と資産価格の方向性を示します。
重要な閾値は「50」です。 ISMが50を上回ると製造業の拡大を示し、ビットコイン価格の上昇と強く相関してきました 。
この指数は市場全体の「リスク選好度」を測るバロメーターでもあります。 ISMが上昇するにつれ、資本は安全資産からリスク資産へと流れます 。
ISMの上昇は、企業の活動が活発化し、投資家の自信が高まっていることを意味します 。
この自信が、ビットコインからアルトコインへの資本移動、すなわち「アルトシーズン」の引き金を引くのです。
現在のサイクルについて、パル氏はISMがまだ50を下回っており、サイクルはピークにほど遠いと分析しています 。
表1:流動性サイクルの「ドミノ」:予測タイムライン
| 指標(ドミノ) | 測定対象 | 先行期間 | 予測対象 |
| GMI金融環境指数 | ドル、金利、コモディティ | 約3ヶ月 | 総グローバル流動性 |
| 総グローバル流動性 | グローバルM2、FRB純流動性 | 約6ヶ月 | ISM製造業景況指数 |
| ISM製造業景況指数 | 景気循環の勢い | 約1ヶ月 | 企業収益、リスク選好度 |
| リスク選好度(ISM > 50 & 上昇) | 市場心理 | 同時 | 高ベータ資産への資本回転 |
第3部 流動性サイクル・プレイブック:実践的な投資戦略
理論と指標を、具体的な投資行動に結びつけます。 サイクルの各段階に応じた資産配分とリスク管理のプレイブックです。
3.1 市場の4フェーズと「バナナゾーン」
パル氏は、暗号資産市場のサイクルが「ブレイクアウト、リテスト、バナナゾーン」というパターンを示すと説明します 。
「バナナゾーン」は、価格が指数関数的に急騰する、サイクルの最も速度の速い部分を指す彼の造語です 。
この到来は、グローバルな流動性サイクルと密接に連動します。 具体的には、世界のマネーサプライ(M2)が上昇し、ドル安が進行する局面で発生しやすくなります 。
パル氏は、今回のサイクルは過去より長く、2026年の第1四半期または第2四半期まで続く可能性があると予測しています 。
3.2 戦略的な資本回転:BTCからアルトシーズンへ
リターンを最大化する鍵は、ISM指数に基づき資本を戦略的に回転させることです。 「アルトシーズン」は予測可能な順序で起こります 。
具体的な順序は以下の通りです。
- ISMが50未満(景気後退期/回復初期): 資本はビットコイン(BTC)に集中。
- ISMが50を突破し上昇(景気拡大期): 資本はイーサリウム(ETH)へ。
- ISMが55~60へと加速(景気拡大後期): 資本はソラナ(SOL)などの主要アルトコインへ。「アルトシーズン」が本格化。
- ISMが高値圏で推移(ピーク/陶酔期): 資本はその他の小規模アルトコインへ拡散。
パル氏は、焦って早期に小規模アルトコインに投資することはリスクが高いと警告しています 。
表2:景気循環フェーズ別・資産配分ブループリント
| 景気循環フェーズ | ISMの状況 | パフォーマンスが期待される資産(一般) | パフォーマンスが期待される暗号資産 | 戦略的ポートフォリオの傾斜 |
| 後退期 (Contraction) | 50未満、低下傾向 | 国債、ディフェンシブ株 | ビットコイン | 債券・現金の比率を最大化、BTCを少量保有 |
| 回復期 (Recovery) | 50未満、上昇傾向 | 株式(特に小型株) | ビットコイン | 債券から株式へシフト、BTCの比率を増加 |
| 拡大期 (Expansion) | 50以上、上昇傾向 | 株式(特にテクノロジー株) | BTC → ETH → 主要アルトコイン | テクノロジー株・暗号資産をオーバーウェイト |
| 減速期 (Slowdown) | 50以上、低下傾向 | ディフェンシブ株 | 小規模アルトコインの熱狂、その後急落 | 高ベータ資産の利益確定、ディフェンシブ資産へ回帰 |
3.3 日本の投資家への特別な視点
日本の投資家は、日銀の特異な金融政策と円の動向を考慮する必要があります。
- 円キャリートレードの役割: 日本の超低金利は、円を借りて海外資産に投資する「円キャリートレード」の資金源となってきました 。
- 日銀の政策転換: 2024年、日銀はマイナス金利政策を解除しました。これは歴史的な転換点です 。
- 巻き戻しのリスク: 今後、日銀が利上げし、FRBが利下げすると円高が進む可能性があります 。これは円キャリートレードの急激な巻き戻しを引き起こし、海外資産の売り圧力となるリスクがあります 。
この政策の非同期性は、グローバルな流動性環境への新たなリスク要因です。
3.4 ポートフォリオの青写真:リスク管理ルール
規律あるリスク管理が不可欠です。 パル氏のアドバイスは、以下のシンプルなルールに集約されます。
- ルール1:「これを台無しにするな」: 最大のリスクは、狼狽売りです 。
- ルール2:レバレッジを避ける: 通常の下落で強制的に退場させられます 。
- ルール3:実績のある勝者を保有し続ける: ポートフォリオの中核はBTC、ETH、SOLなどに集中させます 。
- ルール4:マクロの時計に時間軸を合わせる: 短期的なニュースに惑わされないこと 。
- ルール5:忍耐を持つ: 頻繁な売買は避けるべきです 。
第4部 批判的な視点:リスクと代替的な見解
いかなる投資フレームワークも、その限界とリスクを理解して初めて有効なツールとなります。
4.1 クオンツの批判:相関は統計的な幻想か?
パル氏の理論に対する最も強力な反論の一つは、グローバルM2とビットコイン価格の相関が、データの恣意的な操作(過剰適合)の産物であるという指摘です 。
- 恣意的なラグ設定: M2のデータをずらして重ねる手法は、相関があるように見せるためのデータ操作だと指摘されています 。
- データの欠陥: グローバルM2という指標自体が、本質的に不完全でノイズが多いです 。
- 逆の因果関係: 過去には、ビットコインがピークを付けた後に流動性がピークを迎えた事例があります。これは、流動性が価格を動かすという前提を覆す可能性があります 。
これらの批判は、彼のフレームワークを精密なタイミングツールとしてではなく、マクロ経済の方向性を示す「羅針盤」として活用すべきことを示唆しています。
4.2 流動性を超えて:代替的なマクロ理論
パル氏の理論が唯一の正解ではありません。 他の有力なフレームワークも視野に入れることが重要です。
- マイケル・ハウエル氏のファンディング流動性: 金融機関の与信能力を反映する「ファンディング流動性」を重視します 。
- グローバル金融サイクル(GFCy): VIX指数などに代表されるグローバルな「リスク選好度」が主要因であると考えます 。
- レイ・ダリオ氏の長期債務サイクル: より長期の(50年~75年)債務サイクルに着目し、現在の世界が1930年代に類似していると警告します 。
これらの理論は相互補完的です。 優れた投資家は、これらの異なるレンズを使い分け、市場をより立体的に理解します。
表3:ラウル・パルのフレームワーク vs. 批判・代替理論
| 主要概念 | ラウル・パルの「エブリシング・コード」 | 批判的な対論/代替的な見解 |
| 主要な駆動力 | 債務借り換えサイクルと流動性注入 | グローバルなリスク選好度(GFCy)、長期債務サイクル(ダリオ) |
| 主要指標 | グローバルM2(ラグ調整あり) | 相関は偽物/過剰適合の可能性(Sina) |
| 因果関係 | 流動性 → 景気循環 → 資産価格 | リスク認識の変化が、流動性と資産価格の両方を動かす可能性 |
| 予測能力 | 高い予測可能性を持つ | 過去のパフォーマンスは将来を保証せず、構造変化がサイクルを変える可能性 |
4.3 「壊れた時計」という批判への対応
パル氏には、過去に予測を外したことから「壊れた時計」といった批判があります 。
彼自身も、判断を誤ったことを認めています 。
重要なのは、彼の価値が個々の「予測」ではなく、彼が提供する「フレームワーク」そのものにある点です 。
彼の思考の枠組みを自身の分析に取り入れ、応用していくことが重要です。
結論:「これを台無しにするな」– あなたのフレームワーク
パル氏の流動性サイクル論は、現代の投資家が直面する課題への明確な回答です。 我々は、構造的な通貨価値希釈の時代に生きています。
この環境下で合理的な行動とは、テクノロジーや暗号資産のように、希少性と成長性を持つ資産を保有することです 。
そのための実践的なプレイブックは明確です。 ISM指数を監視し、マクロ経済の「季節」を判断します。 そして、その季節に応じて、規律を持って資本を回転させます。
最も重要なのは、パル氏が繰り返すアドバイスです。 「これを台無しにするな…トークンをしっかり保有し、流動性に従え」 。
流動性サイクル論は、単なる投資理論ではありません。 それは、複雑な金融ランドスケープを航海するための、不可欠な地図なのです。

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